Happy New Year!
今年もよろしくお願いいたします。
さてと
今年初めての話題は、指宿菜の花マラソン。
昨年末、つい勢いでエントリーしてしまった、人生初めてのフルマラソン。
その当時は、
「これを機会にランニングを日課にし、おなかのえくぼ(腹筋)を取り戻そう!」
と近所の川沿いを、大体40分くらい朝レッスン前に走っていた。
が
寒いし
雨が降ってるし
忘年会が多いし
朝のレッスンが立て込んでるし
と、なんだかんだと理由をつけて、案の定、だんだんと足が遠のいていった年末。
年が明け、ふと気づくと、
やばい、マラソン来週だ!
となり、あせってランニングを再開。
マラソン3日前にスポーツ店へ行き、ウェアをそろえるというような、完全に準備不足の状態になってしまっていた。
フルマラソンに関しては、いろいろなうわさを聞いた。
足のすべての指に豆ができ、くつを脱いだら、足が血だらけだった。
ラストの12キロを、ひざが曲がらないまま、泣きながら歩いた。
走り終わったらO脚になった。
次の日に首から下がまったく動かなかった。
乳首がすれて、血が出た。
etc…
特に最後の項目が恐ろしい。
そして、マラソン前日。
今回は、うちのチアダンスチームは、マラソン大会オープニングとして参加することになっており、前日から指宿へ。私も一緒に行く。
うちのチームの、元リーダーが指宿の人で、その人の嫁ぎ先へ全員泊めてもらう。
ここは民宿かというくらいの、広くてくつろげるお宅であった。
次の日が早いと行っても、それはチアリーダー女子10名も集まれば、それは盛り上がらないわけがなく、恋愛トークなどをして、きゃっきゃと盛り上がる。
チアで盛り上がれば盛り上がるほど、私のランニング熱は冷めて行き、
「私は、なんのために、明日42.195キロも走るんだろう」
と自問自答を繰り返す。
しまいには、元リーダーが
「あぁ、あたしも10年前くらいに一回チャレンジしたけど、15キロでリタイヤしたから、大丈夫、大丈夫!」
と妙な激励をうけて、就寝。
しかし、興奮していたのか、緊張していたのか、ほとんど眠れなかった。
マラソン当日。朝5時半起床。
現地へ行って、チアの練習をしたり、場所の確認をしたり、担当の人と打ち合わせをしたりしているうちに、スタート40分前くらいになってしまう。
チアを離れ、ランニングモードへと切り替えるのに苦戦。
チアの子達にも、
「リタイヤしたら、一緒に帰るからね」
とかなりのローテンション。
とりあえず、おニューなウェアを着て、チアを見に行き、チアを見ているときはハイテンションになり、
「うんうん、初心者が多い中で、よくここまでがんばった」
その後、スタート地点へとぼとぼと歩く。もうスタート20分ほど前。
今回のマラソン参加者は約2万人。とにかく人が多い。
スタート直前、私の心に妙に響いたひとつのアドバイスを、私は頭の中で繰り返していた。
「ふざけてるのか、と思うほど、ゆっくりゆっくり走れ。そしたら最後までいける」
私に今できる戦法はこれしかない。
パーンという音を聞いて、朝9時にスタート。
アドバイスにしたがって、本当にゆっくり走った。どんどん抜かされて行ったが、人と比べてはいけない、ということは、去年の10キロマラソンで学習したことであったから、気にならなかった。
このマラソンは自然の中を走るということで、人気なのが、とてもよくわかった。
こんなに、池田湖がきらきらして、美しいと思ったのは、初めてだった。
それがねぇ、意外にいけたんだな。途中までは。
ゆっくりゆっくり走っている(歩かない程度なくらい)ので、胸はぜんぜん苦しくならない。
なるべく足に負担が来ないように、足を上げないように、やさしく走る。
沿道には、本当にいろんな食べ物がいっぱい。
今回のマラソンで食べたもの。
おしるこ(2杯)
豚汁(2杯)
バナナ(3切れ)
きんかん
チョコレート(5粒)
芋
さつまあげ
白菜のつけもの
氷砂糖(5粒)
水とスポーツドリンク(がぶがぶ)
これらの食べ物を食べ放題システムなところが、とてもうれしく、お得だと感じる。
そして、何よりうれしいのが、地元のみなさんが、すっごい応援してくれること。
そういう普通の人たちが、「がんばってくださーい」と言いながら、食べ物を差し出してくれる。
あめとかチョコとか漬物とか飲み物とか、自分たちで買って、ランナーのために応援してくれるんだよ?
ほかにも、
太鼓をたたいてくれたり。
タッチを求めて並んでいる子供たちがいたり。
「がんばらんね~!」と叱咤激励をしてくれるおばちゃんがいたり。
なんてすばらしい地元住民の方々なんだ。
日本で人気のマラソン大会の一番の理由はこれなんだって。
地元の方々のおもてなしの心。
本当に心に染みました。
30キロを過ぎたくらいから、足全体がじんわりと痛い。
その前から、ずっと心にひっかかっていたことも心配になってくる。
(乳首にばんそうこう貼るの忘れた・・)
たくさん聞いたうわさの中で、一番最後に聞いた恐ろしいものが、心からはなれない。
「乳首から血が出て、リアイヤしました。」
とかかっこ悪すぎるだろう。
けど、実際そうなったら、多分その痛みには耐えられないと思う。
救護のところでもらっていた2枚のばんそうこうをトイレで貼ろうと思っていたころに、足のつまさきが痛くなり、靴を脱いでみてみたら、豆ができる寸前の状態。
足を取るか
乳首を取るか
豆ができそうになっていた足を取りました。
ひとつ残ったばんそうこうをどちらかの乳首に貼るかどうしようかも悩んだが、意外に私のものは強くて、痛くなる気配がなかったので、そのままでよし、ということにした。
そして、またゆっくりゆっくり走る。
30キロを過ぎたくらいから、登りの坂道は歩いても走っても変わらないくらいのスピードしか出なかったので、足のために、歩いた。
平坦な道になったら、また走る。
周りの人たちは、8割くらいが歩いていた。
びっこをひきながら歩いている人たちも多数。
うわさどおり、「痛みに耐えながら10キロを歩く」というやつである。
すでに、35キロを超え、約6時間がたっていた。
私の足は、まだ走れた。
ゆっくりでも走っている自分の足に、ちょっとびっくりした。
周りにいる95%の人は歩いているか、びっこをひいているか、止まって休んでいるため、ゆっくり走っていても、がんがん抜ける。
多分200人くらいの人を抜いたと思う。
快感であった。
完走はできる。
もしかしたら、6時間台でいけるんじゃないか?
と、ついそこでやる気を出してしまった。
しかし、最後の5キロは長かった。
6時間台でいくために、最後の2キロという表示が見えたら、ラストスパートをかけた。
これではまるで、プロのマラソン選手のようである。
自分ってすごいぞ、と完全に酔っていた。
そして、
とうとう来た。
足に、急に痛みが走った。
ラスト1キロで、とてもじゃないけど、走れる状態でなくなった。
足をつくだけで、痛みが走る。
足をひねったわけではないけど、足を捻挫したような痛みだった。
タイムはあきらめた。
びっこをひいて、1キロ歩いた。
ゴールの前でかろうじて20メートルくらい、最後走ったけれど、足が痛すぎた。
結局、200人くらい抜いて、「自分、すごい早い!」と思った割には、
フルマラソンエントリー者17000人中、11700番で、すごく遅かった。
かかった時間は、7時間17分。
けど、
「がんばったな、あたし」
と、ものすごく思えた。
今までの人生で、一番そう思えたかもしれない。
そして、間違いなく、今までの人生で一番、体が疲れていた。
次の日の朝には、足の痛みが治まらず、病院へ。
湿布をもらっただけで、時間がたったら治るでしょう。だって。そりゃそうですね。
来年も走るよ。
来年は、豚汁やおしるこをおかわりなんかしてないで、6時間台を目指すのだ。
ps
今日誕生日です。
永遠の29歳を目指す、35歳になりました。