フィリピンは、ジャグジーで知り合った50歳くらいの小さいおっちゃん、すわっちと行動することになった。
今まで50歳のおじさんを、名字に「ち」などつけて呼び捨てにするなんて、大学のバンドサークルの超縦社会で、年上の人には必ず名字にさん付け、敬語だと教えられたあたしには考えられなかったが、すわっちは、船に乗ってから、数週間、自分のお手製のネームを首からぶらさげて
「すわっち 神戸出身」
とあらゆる人にアピールしていた。
そこで思い切って、
「すわっちさー、仕事何してんの?」
などと超馴れ馴れしく話してみたら、
「俺なー、塗装の会社してんねん。」
とうれしそうに色んな自慢話をしてくるので、このおっちゃんにはこれでいこうと決めた。
すわっちは1人部屋の優遇で、折りたたみ自転車をもってきていた。そして、あたしを後ろに乗せて町を回るため、まずはフィリピンで自転車屋に行くとはりきっていた。
フィリピンに入港したとき、まず、船から見る日本以外の初めての陸地だったので、ちょっとうれしかった。
感想は日本の田舎。
現地の人が港で歓迎のダンスのようなものをしてくれていた。
すわっちとあたしはさっそうと二人乗りをして出国。
と、ここで、出国の警備員みたいな警察官みたいなフィリピンの人に止められ、自転車は危険だから、歩いていけ、と。
すわっちは、なにやら抵抗して、一旦引き返したものの、再チャレンジ。
そして、
「くそ、あの警備員、むかつくわ。ここでちょっと待っててやー」
と言い放ち、しゃーと自転車で船に引き返した。
ここで、あたしは、もうすわっちと行動するのはこの国でやめようと思った。
二人で歩いて港を出た。
蒸し暑い。
ほんとはこんな何もないとこ、風をきって自転車でさーと通り抜ける予定だったのにと、ちょっと不機嫌なあたしの横で、すわっちは、
「こんなことなら国際免許を持ってくればよかったな。俺は乗れない乗り物は何もないんや。大型でも船でもなんでもこいやで。」
と勇ましく言っていた。
あたしはもうこのおっちゃんに気を遣わんでもいいやと思い、ただ、
「ふーん」
とだけ言っといた。
「計画は町に行ってから決めたらいいんや。」
とすわっちが言うもんで、10分前まで純粋にすわっちを信じていたあたしは何も疑わず、とにかく地図を買おうと市街地を目指し歩いた。
この旅に多少の不安を抱き始めてきた頃、同じ歩道に二人のフィリピン人のおっさんが道を歩いていた。
そこで、すわっち、いきなり
「エクスキューズミー?」
かたことの英語で地図はどこかと聞いている。
フィリピン人はとても親切で、フィリピンなまりの英語で
「この先にショッピングモールがあるよ。」
とにこにこして答えてくれ、同じ方向だったため、10分くらい一緒に歩いた。
日本から来たのかとか、船で来たのかとか、典型的な質問をした後、すわっちを指し、
「彼は父親か?」
と聞いてきた。
「違う、ただの友達。」
と答えると、ふーんと不思議そうにしながら、
「じゃ、俺たちは家に帰るから」
と左道に曲がっていった。
時間は午前9時。
なぜ働き盛りともいえる彼らは平日午前9時に家に帰るのだろう。まあ、アウェイですからと軽く思い、町を目指した。
歩いているうちに、全身黒い服を着た、坊主頭に濃いひげ、年齢不詳のチャイニーズマフィアみたいな青年、おかちゃんに会った。
彼も自由行動組で、1人でとぼとぼと歩いていたので、すわっちと二人だけなんてつまんないなーとひそかに思っていた私は、おかちゃんを誘い、フィリピンは3人の旅になった。
20分くらいしたところに、小さい店やタクシーが集まったような場所があったので、とりあえずそこに行ってみたら、タクシーの運転手やら店の人やら寄ってくる、寄ってくる。
やっぱり日本人は金持ちなんだなといつも実感する瞬間。
1人の運転手に話を聞くと1時間1200ペソ(約600円)で、貸切で町を案内するという。3人で割ると1時間たったの200円。
これで、ちょっと市内観光をしてみようということになった。
バットキングダムというこうもりがたくさんいるあやしげな森と、蝶と昆虫園というさらにあやしげなところに行き、ほかにもっと楽しそうなところはないのか聞くが、スービックは港町、元アメリカ軍が駐留していたことろでたくさん基地の跡がある、ということ以外はなんの変哲もないところらしく、ぱっとしない。
とりあえず、昼食の時間が近づいていたので、タクシーの運転手に
「君がいつもお昼を食べるところで降ろしてくれ。」
と、すわっちが運転手さんに言った。
ここから旅の達人、すわっちのパワーが炸裂する。それまでは知らなかったけど、すわっちは今まで色んなところに1人旅をしている金持ちのおっちゃん。
金持ちだけど昔は貧乏だったらしく、お金にすごく執着する。フィリピンで話されているタガログ語で『安くしてくれ』という意味の『タワド』という言葉だけを覚え、
「タワドタワド」
と、連発していた。
そして百発百中、3分の2以下の値段をゲットしていた。
運転手さんがいつも食べているというレストランは、ほんとに現地の人が行くような、小さな、まあ言えば古い小さな中華料理屋みたいなイメージのところだった。
そこで1人300円ほどでビール付きのフィリピン昼食。
日本の味とよく似ている。
しょうゆとさとうで似た豚ばらなど食べて満足。
歩いて町に繰り出した。
町は思ったより大きく、結構楽しかった。
160円でピンクのサングラスを買って、ハロハロというあほみたいなネーミングのフィリピンのカラフルなかき氷を食べたり。

しかし、日本からさほど遠いわけでもないのに、フィリピンという国で心に残ったことがたくさんある。そのいくつかをご紹介しよう。
乗馬の値段を確認するために、公衆電話を探していたのだが、人に聞いてすぐそこにあるというのに、見当たらない。
店の人に聞いてみたら、自分の店の電話を指差してこれだと教えてくれた。フィリピンでは、自宅の家の電話を貸し出し、金をとる。賢い。
次の話。
あたしたちを観光客だということで、無理矢理とも近い形で、
「うちのタクシーに乗っていけよ。」
と、手を引っ張ってタクシーまで連れて行くので、仕方なしに乗った。
しかし、港に入ったとたん、2回も警察に止められるしまつ。
なんだかタクシーは港に入ってはいけないらしい。
何度も警察に拝み倒し、なんとか港まで着いた。日本人のドライバーなら、
「トラブルがあって、すみませんでした。」
であろう。ここ、フィリピンでは、
「君たちのせいで俺は何度も警察に止められ、免許書を取られそうになった。危険を冒してここまで来たんだから、追加料金を払ってくれ。」
であった。
つい払ってしまった。
次。ビーチでひととおり泳ぎ、帰ろうとしていたら、制服を着たガードマンが寄ってきて、
「俺がタクシーを呼んでやる。」
と、携帯電話でしてくれた。
待っている間、ビーチのガードマンはお手製だという弁当をあたしたちの横で食べ始めた。
そして一口くれた。
彼は離婚をしてシングルらしい。
ちょっと同情していたら、タクシーが来たら自分の携帯で電話をしたのに電話代を取った。彼への同情心はそこで薄れた。
そしてすわっち。すわっちはとてもまぬけで、いつも「おい!」とあたしに心で突っ込まれてばかりいるおっちゃんなのに、今回の『タワボタワボ』で全てのものを値切り、豪快に旅を仕切っていったことにより、結果的に、旅は自分で作るもの、そして値切れるものはプライドを捨て値切ること、とすばらしい教訓を教えてくれ、結局はあたしはやっぱりすごいおっちゃんだと認めている。
フィリピン上陸から約一ヶ月たった今、彼は1人ケニアで船を離脱し、キリマンジャロに登っている。



