東京2日目。
いつもどおり、東京にいる妹の家に泊まらせてもらう。
妹は東京に16のときに上京し、今は結婚して妊娠中である。
妹が新宿の近くに住んでいるおかげで、私は格安航空券を取れば東京に安くですぐに行けるというわけである。
朝起きてみれば、コートも着たまま、寝ていた。
だんなのお母さんからもらったダイヤのネックレスがないことに気づいた。
さらに、酒の怖さを実感する。
(後日、妹からネックレスがじゅうたんにあったという報告)
気を取り直して、ランチは、妹と妹とのだんなさんと近所のカレーやさんでランチ。

今日の午後は、ピースボートの年配メンバーとの再会である。
上野の西郷さんの銅像の下に集合。
初めて東京で西郷さんと再会いたしました。

私は、ピースボートに乗っている間、いろんな人と話そうと常に意識をしていて、チアの若者だけと絡んでいてはいかん、と「文クラブ」という企画に参加していた。
参加者は、みなさん、60オーバーの方々ばかりで、そのころ29か30だった私は、圧倒的に若者であった。
結局、船を降りてから、その文クラブのみなさんと一緒に、一冊の本を自主出版した。その本は、今も私のピースボートで感じたことを鮮明に表現してくれる。
今日会った年配のみなさんは、私が仲良しだったみのるさんという超ハッピーおじちゃんの同じ部屋だった方々。そしてそのお友達。
私とみのるさんとの出会いは、エアロビだった。
私たち「文クラブ」が出版した本の中のひとつのエピソードを紹介しよう。
みのるさんの話
みのるさんは、はちゃめちゃなおじさんである。
船の上では、毎日、新聞のようなものが発行されており、一日のスケジュールやら、次に着く国の情報やら、イベント情報やらが載っているのだが、みのるさんは、その第一号に掲載されていた。もうすぐお孫さんがお生まれになるらしい、それくらいの年齢のおじさんである。
とにかく有名人である。なぜそんなに有名であるかというと、まず、とにかく声がでかい。「よっ!」といつでも誰にでも声をかけている。
次に、赤い『龍』と書かれた帽子をいつでもかぶっている。どうして『龍』なのかはわからないけれど、名前を知らない人でも、「ああ、あの龍のぼうしをかぶってる人ね。」と記憶に残る。
そして、いつでもどこでも出没する。例えば、ダンスの練習をしていると、いる。出し物は、今年流行した、まつけんサンバ踊りだったのだが、『オレ!』という曲の最後のかけ声のところで、一人大きな声で、『オレ!』と、叫んでいる。しかも、少しずれているので、余計に目立つ。サンバが好きで、去年の浅草カーニバルに出演したらしい。
それから、とにかく女が大好きである。みのるさんは、船での目標を二つもっている。ひとつは、『毎朝ジョギングをする』。もうひとつは、『毎日、違う女とランチをする』である。ヨットクラブという庶民派レストランに行くと、みのるさんは必ず、若い女の子とランチをしている。毎日毎日いろんな子を誘っているらしい。ちなみに私はまだ誘われておらず、どちらかといえば相談役のようになっているようで、
「最近、女の子のねたがきれそうで困ってんだ。」
などと、なんとも答えようのない相談をうけたりしている。
お酒も大好きである。先月の飲み代の請求が十万円来たと、嘆いていた。今まで二回ほど、
「俺はもう酒はやめた。」
と聞いたことがあるが、二日ほどでまた元に戻っている。
ものづくりがとても得意で、船に竹を大量に持ち込んでいる。一輪挿し、竹とんぼ、額縁、なんでも作る。手作りの一輪挿しに花をさして、いろいろな女の子にプレゼントされている様子である。
今までいろいろな仕事をやっておられたらしく、ものすごく金をもうけて駅前にビルを建てちゃったり、金を持ち逃げされて借金取りに追われたり、そんな波乱万丈の人生を送ってこられているようである。
そんなみのるさんと私が仲がいいのは、みのるさんが自主企画で始めた『エアロビやろうよ!』という、六十代のおじさんがやっているとは思えない企画のインストラクターを、私が頼まれているからだ。短い、てかてかのスパッツをはいて来たときはちょっとびっくりしたが、ほんとに元気な人だ。おかげさまで、船の中で運動不足を嘆いてらっしゃる乗客の方々が、毎朝足を運んでくれている。
いつでも元気いっぱいというイメージのみのるさんだが、少し仲良くなると、今年の初めに亡くなられた奥さんの話をよくしてくれる。にこにこして話すときもあれば、少し寂しげに語るときもある。
「俺はうつ病なんだよ」
言われた時はびっくりした。一ヶ月に一度ほど、奥さんのことが恋しくて恋しくて、寂しくてしょうがなくて、声をあげて泣くんだと話していた。癌で亡くなる一週間前に、二人で温泉旅行に行き、奥さんをお風呂に入れてあげて体を洗ってあげたんだ、という話を教えてくれたのは、船に乗ってまもなくのときだった。
昨晩も、お酒を飲みながら、寂しげであった。たまたまエアロビ会員で飲み会があり、その後二人で話をする機会があったのですが、みのるさんがこう言うのだ。
「俺、日本に帰りたくないよ。この船で就職しちゃおうかな。」
どうして?と尋ねると、
「女房がね、俺から離れてくれないんだ。ずっと背中から追っかけてくるんだ。俺、寂しくて寂しくてしょうがないんだよ。」
奥さん、いい人だったんだね、と言うと、
「あれは、世界一の女だよ。世界一だ。あんなにいい女はいねえ。」
と、いつもの大きな声でみのるさんは言った。
なんだか、切ないのと、悲しいのと、寂しいのと、色んな気持ちが交じり合って、泣きたいのはみのるさんのはずなのに、私がつい泣いてしまった。
涙をふきながら、奥さんは幸せだなと思った。こんなはちゃめちゃなだんなさんは、私は絶対にいやだが、でもやっぱり奥さんにしてみたら、自分を最高の女だと言ってくれるだんなさんは、最高のだんなさんであると思う。
みのるさんは、私の涙を見て、見ぬふりをして、
「そうだ、住所聞いてなかったな、住所書いてくれよ。」
と、たくさんの女の子の住所が書かれたノートを取り出した。
いつもぶらさげている黄色のビニール袋には、ノートやタオルや着替えと一緒に、奥さんの写真が入っている。気分がいいときは、テーブルの上に置いて、世界一の奥さんを眺めながら、お酒を飲む。
帰国したらすぐ、お孫さんがお生まれになる予定だ。
「孫にふりまわされるじいちゃんになんかはなりたくねえ」
と言っているが、ご多分に漏れずそうなるのだろう。
「俺は後二十年、女房がいない人生を生きなきゃいけないんだよ。それをどうやって生きていくか、いつも考えてるんだ。」
これが、みのるさんの一番の船の目標である。
これがみのるさん。
そして、2年前、私がカナダにいたときに、交通事故で亡くなった。
そのときに私がmixiで書いたブログ。
みのさんが
死んだって。
交通事故で。
みのるさん、あたし、みのるさんのこと、大好きだったのに、本当に好きだったのに、あんまり優しくしないで、ごめんなさい。
船、降りてから、赤ちゃん産まれたとき、手紙くれて、ありがとう。
亡くなった奥さんが、妊娠して赤ちゃん産んだときの話、今でもすーごく覚えてる。
入院してたとき、すごく励ましになったよ。
船の上では、エアロビで毎日会ってたよね。ほんとに、毎日ね。
ぴかぴかのスパッツはいて、いつも元気に、エアロビ一緒にしたね。
そういえば、エアロビは、みのさんが提案した企画だったよね。
あれは、いろんな人の健康維持になったみたいで、あたしまでたくさんの人に感謝されたし、あれで、いろんな人と仲良くなれたよ。
もちろん、みのさんと一番仲良しになったよね。
実を言うと、初めは、なんか変わったおじさんだなぁなんて、思ってて、ごめんね。
でも、みんなそう思ってたよ。はは。
だって、相当元気だし。
女の子大好きだし。
亡くなった奥さんのことも大好きだし。
いろんなとこに出没するし。
声でかいし!
船の部屋に呼んでくれて、ダンボールの机で、一緒にお酒飲んだね。
もう酒はやめる って、よく言ってたね。
みのさんの話、いつも面白くて、はちゃめちゃで、好きだったなぁ。
よく、亡くなった奥さんの話をしてたよね。
奥さんの写真も見せてくれたし。
ほんとは、奥さんと船に乗るつもりだったって、言ってたね。
でも、みのさん、奥さんと会えたね。
やっと会えたね。
寂しくて寂しくてしょうがないって言ってたから、
みのさんは、今、奥さんと過ごしてるの?
みのさん、どうして、あたしに電話をしてくれたんですか?
あたし、今カナダにいて、電話気付いてたのに、取らなかったの。
みのさんがそんなことになってるなんて、ぜんぜんわからなかった。
みのさん、この前、東京に行ったときも、電話、結局すれ違いで、会えなかったね。
1時間だけでもお茶しようって言ってくれたのに、冷たく断って、ごめんね。
同窓会で会ったときも、ほとんどしゃべれなくって、どうしてもっと、話さなかったんだろう。
みのさん、あたしが電話取ってたら、なんていうつもりだったの?
みのさん、最後まで、優しくしないで、ほんとにごめんなさい。
許してください。
でも、ほんとに、みのさんのこと、大好きだったんだよ。
ほかの女の子も、みのさんのこと、大好きだったよ。
みのさんは、船の人気者で、有名人で、若い人も、年配の人も、みんなみのさんのこと知ってたし、ね。
みのさん、今奥さんと会えて、幸せかなぁ。
奥さんと何してるかなぁ。
こんなに後悔したことは、初めてだと思う。
どうして、神様は、知らせてくれなかった?
みのさんからの電話、取らないほうが良かった?
あたしは、やっぱり、最後にかけてくれた電話、取りたかった。
話がしたかった。
みのるさん、ごめんなさい。
悲しいです。
ピースボートにはいろんな思い出があります。
そんなみのるさんの思い出話をしながら、年配のみなさんと昼3時からビールを飲みながらいい時間を過ごした。


